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パリ〜バルセロナ〜マヨルカ島 |
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■2006/4/20
●20h32 Paris Austerlitz (パリ・オーステルリッツ駅発)
●Train 477 Voiture 61 Lit 56 (477列車・61号車・寝台No.56)
定員女性4名の狭い部屋。先客あり。スペイン在住の韓国人とその友だちで、大きなスーツケースが狭い部屋を占領している。すぐに車掌さんにパスポートを没収される。座席を2段式ベッドに手早く整えてくれる。9時半ごろベッドに横になる。話し声は続いていた。ノックが聞こえ誰かが空いていたベッドにもぐりこんだ様子。時計を見ると0時。リモージュ駅だった。ベッドの上段に大きな荷物を上手にほりこんで、すぐに静かになる。列車の振動と騒音がひどい。時には台風の中、時にはジェット・コースターに乗っている気分。床のバッグに無造作に入れたパソコンが気になり眠れなくなる。こっそり起きだしヤッケにくるむがすでに壊れているかもしれない。
ショパンは、パリからこの鉄道と同じようなルートを郵便馬車で走った。1839年10月31日、「四晩もの長旅にけなげに耐えて」(ジョルジュ・サンド)、フランスとスペインの国境に近いペルピニャンに元気に到着。サンド親子と合流する。そこから陸路はなく客船の旅。現代の夜行列車は、ペルピニャン駅を夜中に通り過ぎて、バルセロナに約12時間で着く。
ドンドンドンドン!ノックの音と共に、大声で私の名前が連呼され、目を覚ます。朝の6時婦人警官がスペイン語でまくしたてる。言葉はわからないが、「パスポートにヨーロッパへの入国印がない!」「密入国?!」とわめいている様子。「そういえば、パスポートの入国、出国印って、順序よく押されたためしがないし、今回もどこに押されたか確認していなかったなあ。」ドキドキ慌ててしまったが、密入国でないことは本人が知っているから、心を落ち着かせて考える。「2月にアムステルダムからパリに入り、今日まで滞在してスペイン経由で帰国する。あるはずだから、探して下さい。」と言ったが、フランス語がわからなかったのかどうかは知らないけれど、「もう一人そんな奴がいるから、それを調べて後で来る!」(こう言ったのだと想像!)とけたたましい態度で次の車両に移っていった。
私は数字の覚えが極端に悪く、この時も、アムスに着いた日が思いだせない。「そうだ。日記!」と戻ってきた係官に、出入国の日付(1月31日だった)、便名、ホテルの名前などを書いたページを見せ、再度パスポートの記載を探すようお願いする。やっと見つかり一件落着。もちろん謝らない。威圧的な態度のまま「フン!」とか言って去っていった。私がスペイン人の美男子でも彼女は同じ態度なのかしら。フン!その間、同室の3人は身を潜めて事の成り行きを見ていただけ。まあそうするより他ないですが。
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■2006/4/21
●08h24 Barcelona- Franca (バルセロナ・フランカ駅着)
●Hotel PIALTO : Ferran 40-42
(フェラン通り40-42番地)
町の中心でどこへ行くにも便利。レセプションの対応も部屋もお風呂もすべて100点満点。昼はカサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル邸など見学。オーディオ・ガイドあり。ホテルの通りで、客引きに声をかけられる。今夜の音楽会の宣伝だった。ラッキー!夜大きな教会でギターリサイタルを聞く。スペインの曲ばかり。
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■2006/4/22(土)
●16h00 バルセロナ港発 20h40 パルマ港着(予定時間:19h50)
●Hotel Husa Zenith : Teniente
Mateu Garcias 6 Palma de Mallorca
パルマの地図のどこにもホテルの住所の通りが見つからない。船の案内の方に聞くと、「私はマヨルカ島に住んでいるけれど知らないわ」…。親切に仲間に聞いてくれたが、全員が「わからない」…。相当心細い思いで、港に着く。港のポリスに聞くと、「ここから5分くらいで行けるから、タクシーで行け」と「タクシー!お客さん!」と呼んでくれた。海からすぐに続く暗い急な坂道をどんどん登って無事ホテル着。レセプションのお兄さんが、とても気持ちよく迎えてくれてホッとする。“I
am hungry"と言うと、“Me too !"と笑いながら、近くのレストランを教えてくれる。「AYAMAS、本格的なスペイン料理の店です」。
●Restaurant : AYAMAS レストランは広く、5、6人の客は10時ごろには出られて、残るは家族やなじみの客がサッカー観戦。ご主人が並みはずれに歓迎の態度で接してくれて、「ウフフ。女の一人旅のおかげ?」と思ったりしていたが、それには別のわけがありました。
おいしい料理と、白ワインのハーフ・ボトルで、よい気持になったころを見計らって、ご主人はアルバムを大事そうに抱えてこられた。それは何と天皇皇后両陛下がマヨルカ島を訪問された時の写真や新聞の記事だった。スペインの偉い人々の中で、一人の坊やが美智子妃に花束を贈呈し、握手をしている写真を私に見せて、何度も“ミオ・バンビーノ"と言われるものだから、スペイン語がわからない私は、「このおじさんの子ども時代?」「そりゃおかしいわ。年齢が合わないわ」???夜中になってきたので、明日の昼食もここに来る約束をして引き上げた。
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■2006/4/23(日)
●Fundancio Pilar i Joan Miro
a Mallorca ミロ美術館 Joan de saridakis,29
(火)〜(土):10h〜18h(19hの期間もある)
(日)・(祝):10h〜15h
朝食は8時から10時。スペイン・タイム。歩いて5、6分のところに、ミロ美術館があった。日本のガイドブックはもちろん、スペインの地図でもパルマ市内からは離れているので、圏外扱い。このホテルに泊った第2番目のラッキー!とてもすばらしいところです。オススメ。
さて約束どおり例のレストランへランチを食べに行く。給仕をしてくれた青年を見て、すべてが判明。くだんの坊やは彼だった。ミオ・バンビーノは私の子供!かわいらしさは消えていたが、やはり面影はありすてきな青年だった。
レストランの正面にキリストか仏様の祭壇のように、にこにこ笑っておられる両陛下の写真が飾られている。お酒や花で囲まれて、まるで一家のお宝扱いで大切にされているのを見て、何だかとても嬉しくなった。お二人が真の国際親善をされていることをはじめて実感し、これまでにない関心と親近感を覚えた。私への特別扱いは、私が日本人だったからと判明。おかげさまでした。美味しいスペイン料理オススメ。
●Castell
de Bellverベルヴェル城
「眺めのよい城」という名のとおり海と町が見渡せる。バスの駅Plaza Gomilaを降りてから、坂道と階段をかなり歩かねばならないが、オススメ。
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■2006/4/24(月)
●Valldemossa ヴァルデモーサ
ついに行ってきました。念願のヴァルデモーサ。バスを探すのは、どこでもなかなか難しい。でも何とか駅舎にたどりつき、切符を買って乗り場へ。10h30のバスは超満員で、11h30のバスに乗る。隣の席はドイツ人で、お互い片言のフランス語で会話が弾む。画家で絵を描くためにこの島に6ヶ月滞在しているそうだ。30分でもう終点に着いた。バスを降りると、バー、レストラン、みやげ物や立ち並んでいて驚く。たしかに修道院までは坂道だったが想像以上のにぎやかさ。だがその一画をはずれると静かな村のたたずまいで、どの家にもキリスト教の陶板と花が飾られていて、信心深い人々の暮らしが息づいている。
●Monasterio de Cartuja カルトゥハ修道院
パルマとエスタブリメンツの下宿を追い出されたサンドとショパンが、1838年12月15日から、翌年2月11日まで暮したカルトゥハ修道院に来た。礼拝堂から始まり、17世紀の薬局、図書室を過ぎると、彼らが暮した庭付きの三部屋が続いている。まじかに見える岩山、オリーブの木、糸杉、たわわに実ったオレンジ、大きなサボテンなどの風景は、サンドやショパンの記述どおりである。
彼らも踏んだであろうすりへった床石と、観光客目当ての四軒ものみやげ物店(貴重な本も売っているとはいえ)が、僧院の中に同居していることに、170年の時の流れを痛切に感じた。ここにショパンやサンドの手紙や手記を気軽に引用することはできない。ヴァルデモーサに行かれるなら、「ジョルジュ・サンドからの手紙/スペイン・マヨルカ島、ショパンとの旅と生活」(持田明子編=構成
藤原書店)を読まれることを切にオススメ。
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■2006/4/25(火)
●10h00:パルマ出航 15h30:バルセロナ着 (予定13h45、海が荒れていたので延着)
今度は冬に来たいです。
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■2006/4/26(水)
●ただただガウディ(1852-1926)の偉大さに恐れ入りながら、朝から晩まで、バルセロナをぶらぶら散歩。バルセロナがわが大好きな町のひとつになりました。
●親切で陽気なスペインの人たちへ、ありがとう。またきます。
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40eme FETE ROMANTIQUE de NOHANT
第40回ノアンロマンティック音楽祭 |
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♪ 2007年6月9日(土)20h30 羊小屋にて ♪ |
アルド・チッコリーニ ピアノリサイタル
RECITAL Aldo CICCOLINI, piano
<ショパン:ノアンでの主要作品>
Nocturne
op. 62-1 / 2
Tarentelle op. 43
Mazurka op.59-1 / 2 / 3
Polonaise-Fantaisie op.61
Sonate No. 3 op.58 |
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♪ 2007年6月10日(日)11h00 羊小屋にて ♪ |
コンサート<若いピアニストの跳躍台>
エリアンヌ・レイエ Eliane REYES, piano
SCHUMANN/LISZT 愛の歌
SCHUMANN 3 Fantasiestucke op. 111
CHOPIN Barcarolle op.60
DEBUSSY Image, Livre llより
Alberto GINASTERA 3つのアルジェンティン舞曲 |
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♪ 2007年6月10日(日)16h00 羊小屋にて ♪ |
<トリオワンデラーの20年>
MENDELSSOHN Trio No. 1 op.49
LISZT Trio ≪Tristia≫ ≪オーベルマンの谷≫編曲
BRAHMS Trio No.1 op.8 |
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■旅人さんたちからのひとこと■
…パリに今居ることが先ず感激です。ノアンの演奏会が最大の目的でしたが、想像以上の感動をいただきました。アルド・チッコリーニ氏の深い音色に、ピアノってこんな楽器だったのかと思い知らされました。又若手のエリアンヌさんの天使の音色には、感動の涙があふれました。… |
パリ 07.6.12 |
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パリを訪れたのは3度目ですが、香り豊かなパリを実感できたのは初めてです。ほんの少しだけパリジェンヌの気分で…。ノアンの2日間は幸せでした。主人もここに一緒であればなあ…と、ふと。この出会いに感謝しております。… |
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セ・シ・ボンの旅でした。特にノアンの2日間はずっと心に残るでしょう!メルシー・ボクー!!!… |
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今回もまた最高の旅をありがとうございました。多くの美術にふれ、夢の世界ノアンに遊び、実り豊かな旅となりました。ごえんさんに感謝々々!!!そして穏やかな中にしっかりと目的を持って行動された仲間たちにびっくり。素晴らしいグループでした。仲間たちにも感謝々々!!!体力のない私の次回への提案:はじめにノアン3泊、そして残りの日々をパリで、はいかがでしょう?… |
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…大変お世話になりました。お疲れでしょう。農業国フランスの姿がみられるのは飛行機より鉄道やバスですから、今回は絶好でした。田舎町の豊かな生活もチラリと見られ、人の微笑にもたくさん接し楽しい日々でした。ラ・シャトルのホテルのマダム、パリのマリアンヌと、熟女のたくましく美しい身の飾り方など、生活の楽しみ方がちがうなあと思いました。いろいろ美術館には行きましたが、今の若者が興味を持っている日本の漫画文化の浸透現況を少し見てみたかったです。… |
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…思いがけず素晴らしい経験をすることが出来て、本当に言葉につくせない感謝の気持でいっぱいです。良いことばかりが思い出され、(鍵のトラブルさえも懐かしい!)ノアンの草原に咲いていた小花の数々をコサージュにいかせたらとの思いもあり、次回の制作に胸ふくらませて帰途につけるのも幸いです。 |
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FRANCE 地方の魅力発見 |
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フランスの各地方を色分けした地図をご覧ください。日本と同じようにフランスも鉄道が発達した国です。丸印がついた地名は、すでに訪ねたお気に入りの町です。さあ!トーマスクックの時刻表をお供に、汽車に乗って各地方独特の魅力発見の旅に出発しましょう。
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PARIS〜NOHANT |
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■ノアンってどこ?
フランス国鉄の略図で、ノアンの大体の位置関係をご覧ください。パリには、国鉄のターミナル駅が6つあり、行き先によって乗降駅がちがいます。ノアンへは、オーステルリッツ(Paris
Austerlitz)駅から、トゥールーズ方面行きの列車に乗ります。この駅からは、国境を越えてスペイン、ポルトガル方面への国際列車も発着します。フランスは在来線と同じ線路に、新幹線が走っているのですが、例えばマルセーユやボルドーまで、最も速い新幹線を使えば3時間で行けるのに、この線には新幹線が走っていないので、時間がかかります。車輌も古い型のものが多く、ノスタルジックな旅が楽しめます。ショパンは、7回の夏をここノアンで過しましたが、パリからこの距離をどういう風に通ったのでしょうか。次の手紙から想像してください。
フレデリック・ショパンからパリのアルベール・グジマウアへ |
ノアン 1839年7月8日 |
シャトルーズ行きのmalle-poste(急行馬車)に乗りなさい。翌日の正午には着けると思います。そこから、diligence(乗り合い馬車)に乗れば、2時間半でラ・シャトルです。でも、道の途中で、ジョルジュ・サンドの庭が見えてきますから、そこで馬車を降りてください。 |
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フレデリック・ショパンからパリのフォンタナへ |
ノアン 1839年10月8日 |
あさって木曜日午前5時にノアンを発ちます。金曜日の3時か4時(5時には必ず)トロンシェ通り5番地(訳注 ショパンがパリで5番目に住んだアパルトマンの住所)に着きます。 |
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[フランス国鉄の略図] |
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「ジョルジュ・サンドの舘」“La maison de
George Sand”へ |
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ノアン(Nohant)には、男装の女流作家ジョルジュ・サンド(1804‐1876)の館が当時のままの状態で保存され、一般に公開されています。この記念館は厳重に管理されていて、来訪者は、一定の時間に専任のガイドさんに導かれて邸内を回ることができます。G.サンドはフランスで今も最もよく読まれている作家の一人ですが、作品の殆どがこの館で書かれました。バルザック、フロベール、ミュッセ、ドラクロワ、そしてリストなど当時の一流の芸術家がこの邸に集いました。ショパンは7回の夏(1839‐1846)をこの舘で過し、彼もまたG.サンドとの交流の時期に多くの作品を残しました。貴重な絵画や飾り物、調度品とともに、当時の最新式しつらえの台所などから、G.サンドの暮らしぶりの豊かさが想像できます。ショパンの部屋だった所のドアが防音を考えたものになっているのを見た時、彼女のショパンへの愛情の深さに胸を打たれました。
敷地内には、教会や羊小屋、子供たちのために作られた小屋、小説の名前をとったオーベルジュなどがあり、隅の一角には、G.サンドとその一族の墓があります。庭には花や樹木が一杯植わっていて、自由に散歩が出来ます。ベンチに座って鳥の声を聞いていると、過ぎ去った時代がよみがえってくる気がします。
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39eme FETE ROMANTIQUE de NOHANT
第39回ノアンロマンティック音楽祭 |
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♪ 2006年6月24日(土) 20h30 羊小屋にて ♪ |
室内楽コンサート <表現の真髄>
Quatuor DEBUSSY ドビュッシー弦楽四重奏団
Christophe COLETTE, violon
Anne MENIER, violon
Vincent DEPRECQ, alto
Alain BRALEY, violoncello
Franck BRALEY, piano フランク・ブラレイ,ピアノ
プログラム
W.A.MOZART 弦楽四重奏 ハ長調 <不協和音> K.465
W.A.MOZART ピアノ四重奏 変ホ長調 K.493
R.SCHUMANN ピアノ五重奏 変ホ長調 OP.44
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♪ 2006年6月25日(日) 11h00 羊小屋にて ♪ |
ピアノ連弾コンサート <期待される新人ピアニスト>
Lidija & Sanja BIZJAK リディヤ&サンヤ ビジャーク姉妹
プログラム
W.A.MOZART アンダンテと変奏曲 ト長調 K.501
F.SCHUBERT 幻想曲 ヘ短調 D.940
F.CHOPIN ムーアのテーマによる変奏曲 ニ長調 遺作
J.BRAHMS ハンガリア舞曲 NO.1.2.3.4.5. |
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♪ 2006年6月25日(日) 17h00 羊小屋にて ♪ |
文学と音楽のスペクタクル <ロバートとクララ 二人のシューマン親密な愛>
Brigitte FOSSEY, ナレーター
Yves HENRY, ピアノ
クララとロベール・シューマン(27曲)、ショパン(3曲)、リスト、メンデルスゾーン、ブラームス(各1曲)の演奏と、彼らとマルセル・プルーストの手紙と文章の朗読が交互に・・・。この音楽祭の責任者でもあるピアニストの、イヴ・アンリー氏と俳優のブリジッド・フォーセイ女史の、オリジナル台本による2時間の華やかなステージ。 |
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■旅人さんたちからのひとこと■
・・・音楽は国境を越えて…を現実に肌で感じることができました。羊小屋ホールでの演奏は、干草の香りと共に、小鳥のさえずり、雨の音、犬の鳴き声と、すべて自然体の中で行われ、私たちも2日間限定の村の一員として喜びを感じることができました。気取ることなく、さらりと、美しい音色の演奏に感激しました。合間の休憩で、古い木戸が開けられ、広場での会話の様子、こよなく音楽を愛しているマダム、ムッシュの姿が絵画の中にいるような感覚でした。ショパン、サンドが歩いたであろう道、場所に泊ることができたことは最高の喜びでした。・・・ |
パリにて 06.6.27 |
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・・・羊小屋での音楽会は人工的な反響ではないので、ダイレクトにピアノの音が広がり、ピアノはこんなに美しい音色をしているのだと嬉しくなりました。ハイクオリティな数々の音楽会と、自然のパワーをたくさん充填!オペラの雰囲気は好きなものだったので、また同じものを見てみたいと思いました。少々見逃してしまったシーンもあり残念!フランスの印象もイメージから実感になり、ますますあこがれの地となりました。フランス時間というより、まさにフランスマジック! たくさんの出会いと出来事に感謝!!!・・・ |
パリのホテルにて 06.6.27 am
3h24 |
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・・・3つのコンサート、それぞれひとつひとつを堪能することができました。ノアンのかわいいホテル、ジョルジュ・サンドの館の庭園散策、昔は羊小屋だったという音楽会場でのコンサート。夢のような2日間でした。6キロの道を徒歩での帰宅というハプニングもあり、思い出に残る旅行です。・・・  |
パリにて 06.6.27 |
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■そして1週間後アンリー先生から■
BONJOUR!Keiko,
私は、あなたの日本のお友達がみんな、この旅行に満足されて帰られたことを聞いて本当に嬉しいです。・・・私たちはあなたを日本の「フェスティバル大使」に任命したいです。来年もノアンで日本の皆さまに会えることを期待しています。 |
PARIS 06.7.04
Ives HENRY |
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