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風に乗って、面白い話題が飛んできます。〜色んな所〜色んな人から。はじめ時々〜後しばしば。

◎500 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて (2019/03/20)

05/03/2019 ♪♪♪ 南アルプスと富士山遠望自主トレ最終回 ♪♪♪
 1月7日から来ているここの夜そして朝は早い。9時消灯、朝6時廊下に明かりが灯る。待ってました!5時に目が覚め、真っ暗ベッドで静かにできるストレッチ体操の種もとっくに尽きた。手探りでパジャマからトレーナーに着替えることにも慣れた。隣のベッドから起きた気配がすると、即部屋の電気をつけて、おはようございます!
 1月16日6時45分、暗い空が薄いピンク色に染まり始めるころ、こっそり部屋を出て、南アルプスの山々がぐるっと眺められる隠れた場所で自主トレをすることを思いついた。7時30分、山と山の間から太陽が顔を出した。数分後には、目をあけてられないくらい眩しい光に変わり、真っ青な空が広がった。晴れた日にはアルプスの高峰の後ろに富士山がちょこんと顔をだす。  
 1月28日、その富士山の頭にぴったりサイズの雲が帽子のように浮いていた。富士山の典型的絵柄・・・。なんとも言えぬ不思議な美しさで、翌日からカメラを持参したが、ついに最終日の今日まであの雲は現れなかった。残念!ラッキー・チャンスは、何度もめぐってくるものではない。一瞬を逃してはならないのだった!
 2月4日雨、7日、起きると外が一面ねずみ色。雪?霧?洗面所でおじさんが「ガスです」と言われた。懐かしい言葉、山での呼称。慌てて隠れ場所へ行くが体操は滑るとヤバく中止して「献辞」朗読大会。
 14日頃になると7時25分にはお日様はかなり上方でギラギラ。
 19日夕方から明け方は、今年一番 (2月にしてもう確定的!) のスーパームーンの予報だったが雨。21日夜と22日早朝にはまん丸できれいなお月様。
 28日と3月1日は、雨で中止。
 3月5日6時15分から最後の自主トレ。ゆっくりだが、走ったり、スキップができたり、片足立ちが長く続いたり、5年前の不運な成り行きでストップした右足の機能が、だんだん目に見えて回復してきたことを実感した。一方、「献辞」暗唱の方は、もともと暗譜下手の私の予想通り、ほんの少しの章しかできなかったが、著者の感情と完全に同化して音読できた貴重な学習であった。

  ♪♪♪ ここは石和温泉「富士温泉病院」 ♪♪♪
 ここの整形外科には三つのリハビリ室がある。1階には大きいPT (Physical Therapist = 理学療法士) 室、1階と2階にOT (Occupational Therapist = 作業療法士) 室。9時から17時まで、そこでは入院と外来の患者が、決められた時間に、それぞれの担当の先生の診療を受ける。午前と午後に分けていただいた二人の先生の診療は、私にはまさに極楽タイム。痺れの残る右足、後ろに回せない右腕、階段の下りが辛い膝、体全体の石のように硬い筋肉を、毎日魔法の手でほぐしてもらって、日を追うごとに楽になる。
 PT室には、各種電動の器具が備えられていて、自由に使うことができる。私はバイクを主に使った。最初の頃は膝が痛くてそろっと踏んでいたのに、次第に負荷をプラスして、30分こげるようになった。歩行ペダルを1日1000歩と決めて毎日踏んでいる方もおられた。他に私には使う必要のない機器や、大きなボール、ストレッチ・ポール、ヒートパック等が備わっていて、各自必要なトレーニングが自由にいつでもできるシステムである。
 また何しろここは温泉町なので、温泉プールがあり、毎日歩行と体操のクラスを受けた。リハビリの程度に応じて3つの時間帯が用意されている。水中仕様のノルディック・ポールを使って、前向き・後ろ向き・横向き歩行をし、先生の絶妙な号令に合わせて体操するのは本当に楽しかった。 
 私は院外リハビリが許された範囲で、ぶどう畑と桃の木畑道・鴨が群れている川沿いの道・松林と笛吹川沿いの道・夕日がきれいな畑道・駅まで安全な温泉さくら通りなど、独自の散歩コースをいくつも考えた。3000歩から10000歩くらいまで。富士登山をもう一度とまでは望まないが、以前のように歩くことが私の目標の一つなので、理学療法の先生から治療と共にアドバイスをもらって、自分の現在の力に相応した自主トレを楽しくできることがとてもありがたかった。今日のひとまずの最終回は、病院から駅まで、温泉桜通りをちょっと重いリュックをしょって9000歩以上、所要時間50分ぐらいなり。(つづく)


◎499 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて(2019/03/07)

04/03/2019
 ◎494 から始まったアナトール・フランスの「献辞」読み終わりました。そこでお断りしたように、フランス語原文で、文字の上の斜めの点(アクサン・テギューやアクサン・グラヴ)、文字の上の帽子(アクサン・コンフレックス)等など、フランス語特有の文字は見事に化けるので、省いて英語のアルファベットにせざるを得ませんでした。全文を見返すと、これは実は大変気持ちが悪いものだと改めて悟っています。ポンプと書きたいのにホンフ、ドキドキはトキトキと書いているようなもんですから、作者にもフランス語を読まれる方にも申し訳ないことでした。でも他のサイトでもこの方法をとっておられますから、こうするしかないようです。
 
 人の世の道のなかばにて…
 ダンテが「神曲」の最初の讃歌をそれで始めるこの詩句が、今宵も心に浮かぶ。恐らく百度目でもあるであろう。しかし、しみじみと胸を打つのは初めてだ。A. フランス

 人の世の道のなかばはとうの昔に過ぎたけど・・・ 
 夜明けの空を染める曙色の雲と山なみを眺めながら覚えた「献辞」の一節が、しみじみと胸を打つ。明日ここを離れます。K.O   (つづく)

◎498 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて (2019/03/03)

02/03/2019
「わが友の書」は、1877年春、33歳で結婚した彼が家庭生活の静かな喜びを味わっていた時、感慨をこめて来し方を振りかえりつつ書き始め、1885年に出版された傑作です。ちなみに「わが友」とは、ピエールの名で登場する幼かりし日のA.フランス自身であり、「わが友の書」とは、幼い日の自分というわが友を語った書に他ならない。対訳篇、翻訳篇によって構文と意味をつかまえた後は、何回も原文を音読または黙読してもらいたい。何よりたいせつなことだからである。(訳注者佐藤房吉氏の解説より)

A・フランス〔献辞〕5日目 風便り ◎494 ◎495 ◎496 ◎497 ◎498 (本日)
9. Il y a des heures ou tout me surprend, des heures ou les choses les plus simples me donnent le frisson du mystere.

 いっさいのものが私の心を驚かせる時がある。世にも単純なものが、私に神秘への戦きを与える時がある。

10. Ainsi, il me parait, en ce moment, que la memoire est une faculte merveilleuse et que le don de faire apparaitre le passe est aussi etonnant et bien meilleur que le don de voir l’avenir.

 だから、今の私には思われるのだ。記憶というのは驚嘆すべき能力であり、そして、過去を蘇らせる力とは、未来を思い見る力と同じくらいに不思議な、いや、はるかにすぐれた力なのだと。

11. C’est un bienfait que le souvenir. La nuit est calme, j’ai rassemble les tisons dans la cheminee et ranime le feu.
Dormez, cheris, dormez !
J’ecris mes souvenirs d’enfance et c’est POUR VOUS TROIS

 思い出とは天の恵みだ。夜は静まりかえっている。私は暖炉の燃えさしを集め、また火を燃えあがらせた。
 眠れ、いとしい者たちよ、眠れ!
 私は幼い頃の思い出を書いている。そしてそれは、
     お前たち3人のためなのだ。

                  (「献辞」おしまい)

◎497 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて (2019/03/03)

28/02/2019
下記文章8のフランス語原文は、Non ! で始まっています。日本語翻訳は、そうだ!・・・ここではあまり顕著ではありませんが、日本語では例えば、「今雨降っていないよね?」と聞かれた時の答えは、「うん、降っていないよ。」か、「いや、降っているよ。」ですが、フランス語の場合は、主文が否定文だと、必ず「Non ! 降っていないよ」、肯定文だと「Oui ! 降っているよ。」と言わねばなりません。なかなか慣れにくく、その上、否定文にこっくりうなづきながら答えてしまうものだから、よく不思議がられます。でも、私は上の例のような否定疑問文に対する答えという点では、日本式が理にあっているのではないかといつも思っています。

アナトール・フランス〔献辞〕3日目 風便り ◎494 ◎495 ◎496 ◎497 (本日)

7. Je ne l’accuse pas. Elle ne m’a pas fait les blessures qu’elle a faite a tant d’autres. Elle m’a meme quelquefois caresse par hasard, la grande indifferente ! En retour de ce qu’elle m’a pris ou refuse, elle m’a donne des tresors aupres desquels tout ce que je desirais n’etait que cendre et fumee. Malgre tout j’ai perdu l’esperance, et maintenant je ne puis entendre dire : “A demain !” sans eprouver un sentiment d’inquietude et de tristesse.

 でも彼女を責める気はない。彼女はあんなにも多くの他の人々に与えた傷を、私には与えなかったからだ。彼女は気まぐれに私を愛撫してくれたことも何度かあった。この背の高い冷淡な恋人は!彼女が私から取り上げたり、私にくれなかったもののかわりに、彼女は私に数々の宝をも与えてくれた。その宝にくらべれば、私が欲しがっていたものすべては、灰と煙にひとしいものでしかなかったのだ。それはともあれ、私は希望というものを失ってしまった。そして今、「では明日!」と言われるのを耳にする時、不安と悲哀とを感ぜずにはいられないのだ。

8. Non ! je n’ai plus confiance en mon ancienne amie la vie. Mais je l’aime encore. Tant que je verrai son divin rayon briller sur trois fronts blancs, sur trois fronts aimes, je dirai qu’elle est belle et je l’a benirai.

 そうだ!私はもはや私の古い恋人、人生に対して信頼をもっていない。しかし、私はまだ彼女を愛している。彼女の聖なる光りが、3つの白い額に、私の愛する三人の額の上に輝いているのを見るかぎりは、私は、人生は美しいと言い、人生を祝福するだろう。

◎496 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて (2019/03/01)

27/02/2019
  Nel mezzo del cammin di nostra vita…(イタリア語:人の世の道のなかばにて…)アナトール・フランスが文章の冒頭にかかげたこの叙事詩「神曲」の作者、ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighier) は、1265年にイタリアの都市国家、トスカーナ地方フィレンツェに生まれ、1321年9月14日に亡くなった詩人、哲学者、政治家です。ついでながら、フランツ・リストの「巡礼の年第2年イタリア」の終曲、「ダンテを読んで」は、1837年から39年までマリー・ダグーとイタリアに滞在中に、ダンテの「神曲・地獄編」に着想を得て完成された作品です。
 さて前に言った通り「献辞」が書かれたのは1885年、著者が41歳の時でした。すなわち著者にとって、「人生の道のなかばにて」の半ばは41歳。彼はまるで約束を守るように、1924年10月12日80歳で世を去りました。私が人生の半ばをしみじみ感じたことはあったかしら?あったとしたらいつ、どんな状況で?そしてあなたは?

 ♪ アナトール・フランス〔献辞〕 風便り ◎494 ◎495 ◎496 (本日) ♪

5. Nel mezzo del cammin di nostra vita…
  Au coin du feu qui meurt, je reve et je me figure que cette maison de famille, avec la chambre ou luit en tremblant la veilleuse et d’ou s’exhalent ces souffles purs, est une auberge isolee sur cette grand’ route dont j’ai deja suivi la moitie.

  人の世の道のなかばにて…
 消えかかっている火の傍で、私は夢想し、そして、家族が住まうこの家、常夜灯がゆらめきながら照っていて、この清らかな寝息の洩れるこの家は、私がすでにそのなかばを辿ってしまった人の世の大道の上に、ぽつんと立っている宿屋なのだと考える。

6. Dormez, cheris ; nous partirons demain !
Demain ! Il fut un temps ou ce mot contenait pour moi la plus belle des magies. En le prononcant, je voyais les figures inconnues et charmantes me faire signe du doigt et murmurer : “Viens ! ”. J’aimais tant la vie, alors ! J’avais en elle la belle confiance d’un amoureux, et ne pensais pas qu’elle put me devenir severe, et elle qui pourtant est sans pitie.

眠れ、いとしい者たちよ。明日はまた旅立ちだ!
明日!この言葉が私にとって、この上なく美しい魔法の時を持っていた時があった。その言葉を口にするだけで、未知の、美しい、数々の姿が私に指で合図をし、「おいで!」と囁くのが眼に見えたのだった。あの頃、私は人生をそんなにも深く愛していたのだ!私は人生という女人に対して、恋する男の曇りのない信頼をいだいていた。彼女が私に対して過酷になりうるとは思っていなかった。しかし、人生こそは無情な女なのだ。
(つづく)

◎495 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて (2019/02/28)

26/02/2019  アナトール・フランスは、フランスの詩人、小説家、批評家、ノーベル文学賞受賞(1921年)。彼はパリのセーヌ川・マラケ河岸19番地(19,Quai Malaquais)、セーヌ河畔の名物、ブキニスト(古書店)の家に生まれたそうです。今日この住所を知ってびっくり!
 実は、いつか探し出したこの住所の建物のプレートには《ジョルジュ・サンドは、1832年から1836年まで、ここのブルーの屋根裏部屋に住んでおり、ここでレリアを書きました》と書かれていたのです!稀代の女流作家ジョルジュ・サンドがノアンの実家へ移った8年後の1844年4月16日に、未来の大作家アナトール・フランスがここに誕生したわけです。
 けれども育ったのは少し先の15番地で、その建物の正面玄関のプレートには《アナトール・フランスは、1844年から1853年まで、ここで育った》と書かれているということです。今度パリへ行ったら確かめに行きます。サンジェルマン・デ・プレのボナパルト通りを北上するとつきあたる河岸で、右手に芸術橋(Pont des Arts)、左手少し先にオルセー美術館(Musee d’Orsay)が見えます。パリで歩くたびに発見のある大好きな場所の一つです!
 この作品は、1885年、著者が41歳のときに二人の子供と妻のために書いた回想録です。 (1)献辞 (2)白衣の婦人 (3)金色の目をしたマルセル (4)エドワード王の子供たち、4編のうち、(1)献辞をテキストの通り、11の節に分けて読み進みます。風便り◎494から読んでください。

 〔1〕DEDICACE 献辞

3. Mon dieu ! je savais, il y a vingt temps, qu’il faudrait en arriver la : je le savais, mais je ne le sentais pas. Je me souciais alors, du milieu du chemin de la vie comme de la route pour Chicago. Maintenant j’ai gravi la côte, j’ai retourne la tete pour embrasser d’un regard tout l’espace que j’ai traverse si vite, et le vers de florentin me remplit d’une telle reverie, que je passerais volontiers la nuit devant mon feu soulever a des fantomes. Les morts sont si legers, helas !

 ああ、20年前にも、私は、いずれはそこに達しなければならないのを知ってはいた。私はそれを知ってはいたのだが、心に感じてはいなかった。当時の私は、人生の道のなかばを、シカゴへの道ほどにしか心に留めていなかった。今、こうしてその坂を登りつめ、頭をめぐらして、私がたちまちのうちに経てきた道程を、一望のうちに振りかえって見ると、かのフローレンスの詩人の詩句は、亡霊を呼び覚ましつつ、燃える火の前で夜を明かしたいと思うほどに、深い夢想で私の心をみたすのだ。死者とはいかに悲しいまでに軽やかなものであろう!

4. Il est doux de se souvenir. Le silence de la nuit y invite. Son calme apprivoise les revenants qui sont timides et fuyant par nature et veulent l’ombre avec la solitude pour venir parler a l’oreille de leurs amis vivants. Les rideaux des fenetres sont tires, les portieres pendent a plis lourds sur le tapis. Seule une porte est entr’ouverte,la, du cote ou mes yeux tournent par instinct. Il en sort une lueur d’opale ; il en vient des souffres egaux et doux, dans les quelles je ne saurais distinguer moi même, celui de la mere et ceux des enfants.

 思い出に耽るのは甘味なものだ。夜のしじまが人をそこへと誘う。夜の静けさが亡霊たちの心をやわらげる。亡霊たちはもともと臆病で人目を避けたがり、闇と孤独がなければ、彼らのなつかしい生者の耳もとに話しかけに来ないものなのだ。窓のカーテンは引いてある。ドアのカーテンも、重いひだを作ってじゅうたんの上に垂れている。ただひとつのドアだけが軽く開いており、私の視線はおのずとそこに注がれる。そのドアからは乳色の明かりがひとすじ洩れている。規則正しい、おだやかな寝息がそこから聞こえてくる。そして、その寝息のどれが子供達ので、どれが母親のかは私にも区別できない。
 眠れ、いとしい者たちよ、眠れ! 
                              (つづく)

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